中国や日本のメディアで紹介された互人多とその活動についてのページです。
(読みやすいように改行位置を編集しています。また、一部漢数字を算用数字にかえてあります)

2000年から2005年

日本人ボランティア組織「互人多」
「同じ子を持つ母親として、中国の子供たちを支援していきたい」

PEOPLE'S CHINA 2001年3月

縁あって中国という地にいるのだから、何か中国に役立つことをしたい――。
そんな思いから、上海でボランティア活動を行う日本人グループがある。「互人多」と書いて、フレンドと読む。中国語の発音を当て字にしている。1997年四月、上海日本人学校のPTA活動で知り合った女性5人が集まって始めた。

「一時的なものではなく、継続的にできるものはないかと考えました。でも当初は、一体何をしたらいいのか、何ができるのか、全然分かりませんでした。いろいろと調べるうちに、私たち自身が子供を中国で育てていますから、やはり子供が一番大事という結論に達し、『希望工程』を通じて、中国の子供たちの支援をしていくことに決めました」
そう、「互人多」事務局メンバーの進士薫さんは振り返る。

「希望工程」は、中国が1989年から全国的に展開している民間教育支援プロジェクトで、経済的理由から学校に行けない子供たちへの支援や貧困地区への学校建設などに取り組んでいる。

手作りの活動を続けていきたい

グループを結成して2カ月後、ガレージセールを行う。趣旨を伝えると、上海在住の日本人から本や衣類などが寄せられ、18000元(1元=約14円)の収益金が上がった。引き続き、チャリティのボウリング大会やテニス大会などを企画。活動を始めて1年で8万元の資金が集まると、上海希望工程弁公室と相談したうえで、雲南省昆明市郊外にある4校に校舎修復費として寄付した。一校あたり2万元あれば、老朽化が激しく倒壊の危険のある校舎を改築できるのだという。

やがてグループ内には、「資金集めに時間がかかったとしても新しい学校一校を建設するほうがいいのではないか」という意見が高まっていく。一校の建設費用20万元を集めることが、「互人多」の新たな目標となった。

20万元は日本円で300万円近い。これをすべて手作りの活動の中から生み出していくのは、簡単な事ではない。彼女たちの活動を評価する中国人から、「上海の日系企業から寄付してもらえば、すぐに資金は集まるのでは」と言われた事もあるという。
「企業から寄付を募れば、お金はもっと簡単に集められると思いますが、それでは私たちが手作りで行っている活動の意味が無くなってしまうと思うのです」(同事務局・結城玲美さん)

二十万元達成! 待ち望む新校舎建設

5人から始まったグループは、2000年末現在で会員は約160人にまで輪が広がった。グループの基本方針は、「やれる人がやれることをやる」「無理のない活動」。だから、1カ月10元の会費を納入するだけでもいいし、会員ではないが行事があれば協力を申し出てくれる人もいる。
事務局にたずさわっているからと言って、こうしなければいけないという義務もない。一人一人の自主性に任されているのだ。

上海の前は、ボランティアが根付いている米国に住んでいたMさんは、「自分ができるだけのお手伝いができる、というのがいいですね」と話す。核のメンバーになって3年近くになるSさんも、「雰囲気が堅苦しくないんです。中国の役に立ちながら、私自身にもお友達ができるし、自分の知らないことも学べる」と楽しそうだ。

ほとんどが駐在員である夫の帯同で来た女性で、3~5年のサイクルで上海を離れていく。人が入れ替わりながらも活動が続いている秘訣は、この柔軟性なのかもしれない。

彼女たちの柔軟性は、イベントの企画にもいかんなく発揮されている。美容講習会から始まって、フィンランド、タイ、メキシコなどの各国料理教室や手芸講座…。そのほか、絵画鑑賞会や中国アンティーク家具の基礎知識を学ぶ講座など、バラエティに富んでいる。
自分たちのネットワークをフルに活用して講師を招く。たとえば料理教室なら、他国の駐在員夫人を講師にその国の本場の料理を教えてもらう。会員の中には語学堪能な人もいるので、さっと通訳を買って出てくれる。適材適所にうまく回っている。

また、年各2回行うチャリティコンサートや古本市は、会員以外の在住日本人からも心待ちにされるイベントだ。日本の古本屋よりも安く手に入るとあって、古本市は毎回人いきれがする。コンサートも、日頃から木蘭拳や二胡、フラダンス、コーラスといったサークル活動に参加している人たちにとっては、またとない発表の場となっているようだ。

ボランティア活動を通して、友達の輪を広げ、戸惑うことの多い海外生活も楽しんでしまおうという「互人多」のメンバーたち。目標だった20万元も達成し、「互人多」と名のついた新校舎が建つ日を待っている。

互人多希望小学完成

SHANGHAI WALKER 2002年6月

1997年より活動を続けてきたボランティアグループ「互人多」(FRIEND)が希望工程を通じて寄付した建設資金により広西壮族自治区灌陽県洞井に「灌陽県互人多希望小学」が3月に完成し、4月11日に竣工式が行われた。
「互人多」からは4名が参加し、子供達の歌や踊りで大歓迎を受けた。完成したのは、3階建6教室の白い校舎。ここの生徒は260名余の主に瑶族の子供達で、多くの子供は家が遠い為、寮に寝泊りして勉強をしている。

いつくしみ溢れる羅馬 羅馬花園「互人多」ガレージセール

誠成物業管理公司報より簡略 2002年11月

以前羅馬花園で行われたガレージセール(※)の成功に続き、2002年10月12日、再度羅馬花園に於いて「互人多」ガレージセールが行われた。これは古北新区に住む日本人の主婦らが企画したもので、この地区の住民の熱い反応があった。

今回は2度目の類似の催しではあったが、前回の成功が大きな呼びかけとなり、開始時間30分前の広場にはこのガレージセールのために手に手にバッグを携えた各国人の長い行列が出来ていた。

午後2時、会場は瞬く間に人で溢れ、品物を売り買いする熱気で沸き立った。店仕舞いが近くなった時刻にも依然として多数の入場者があったが、彼らはただ単に自分の好きなものを購入しているのではなく、重要なのは、貧困にあえぐ子供たちも本来享受するべき権利を受けられるよう、彼らも支援に協力しているという点である。

大変なのはこれらの催しを企画する日本人主婦らで、彼女たちは何の見返りも求めず、自発的に計画を立てて自分たちで実行しているのだが、彼女らの笑みに満ちた顔には、これで満足しているのだという様子が見て取れる。

催しの終了後、彼女らの話からわかったことだが、古北新区には貧困家庭の子供たちのためにボランティアをしている人たちがまだまだ多くいるとのこと。このような動きを広めていくよう、彼女らはさらに大きい規模の活動に取り組んでおり、助けを必要とする人々のための力に充てていこうとしている。

※:5月24日開催の古本市

『日本人'太太'と'希望工程'』

新民晩報より簡略  2002年12月1日

11月の29・30日の2日間にわたり、福州路黄浦大厦で行われた展覧会。この書画交流展は中日交流正常化30周年を記念し、上海水郷書画研究所と日本の'互人多'主催、上海対外文化交流協会と上海日本総領事館協賛によって行われた。

'互人多'のメンバーは全て日本女性(※)。中国の希望工程と密接な関係がある。
現在のところ、希望工程と活動を共にする外国人夫人グループは'互人多'の一団体のみ。
1997年発足以来今日まで、既に50.8万人民元を上海希望工程事務局に寄付し、小学生20名の学費と少数民族地域5ヶ所の小学校校舎改修費用に充てられた。さらに2ヶ所の希望小学校を新設し、その一校では既に授業が始められている。つまり、今回の書画展も'互人多'が主催する募金活動の一環だったのだ。

※:実際には中国人女性も含まれます。

'互人多'この名前に込められた意味

1997年、上海駐在の日本人主婦たちが上海で会を設立し、駐在員家族と共に、ある活動を展開しようと考えていた。会の名前は'互人多'。この名前に込められた意味-それは英語のFRIENDを音訳し、日本人と中国人が友達になれるようにと言う思いを込めて。
また、もう一つには'相互'に助け合う'人'が'多く'なっていきますように、と言う思いを込めて。
名前は一つの記号に過ぎないが、気持ちこそが大切。彼女たちは中国人との関係をこのように考えていた

「何かの縁で中国に来て、中国の方に良くしてもらっているのだから、そのお返しを…」と言う気持ちがあった。

だが、いざ何かをしようとしても、何をして良いかわからない。
方向性を見つけられずにいたちょうどその頃、子供たちを通わせていた日本人学校で、お手製のノートを作って希望工程の失学児童に贈るという活動を行っていることを知った。これを機に「貧しさのために学校に通えない子供たちに学校生活を取り戻してあげたい。」と、彼女たち母親の心は一気に中国貧困地域の学校に通えない児童たちに向かっていった。

こうして'互人多'の活動は方向性を定めたのだ。

最初の一歩 積極的な行動

さて、これからどのように活動していくべきか。彼女たちの頭の中には既に一つの案があった。
'バザー'である。

しかし、難題にぶつかる。
バザーを行う古北新区万科広場の管理会社が'保証人'を要求してきたのだ。

純粋な民間ボランティア団体であるため、身分を証明するものが何も無かった。困った彼女たちは希望工程事務局を訪ねることにした。希望工程に事情を話すと、まだ一円の寄付もしていないのに保証人になってくれるという。この時できた信頼関係がその後の活動を続けていく自信を持つきっかけになった、と彼女たちは言う。

この第1回バザーは1997年6月に行われた。上海に住む日本人が不用品を提供し、それを'互人多'が整理して販売した。多くの日本人がこの活動に参加した。この1回目のバザーでは8000人民元が集まり、ちょうど貧困地区の子供20人が5年間学校に通える費用だった。すぐに手続きをして20人の子供たちと'授業料援助カード'を交わした。この20名の生徒は全て安徽省岳西県菖蒲鎮雲山小学校の生徒である。その生徒たちも今では無事卒業していることであろう。

広がるネットワーク 確かな成果

'互人多'のネットワークはどんどん広がっていく。新しくメンバーとなった主婦らが熱心かつ次々に希望工程を周囲に宣伝していくからだ。大多数のメンバーは'互人多'が主催するバザーなどの活動がきっかけで、正式な会員となっていく。
一見気軽に見えるこうした活動の背景に、厳しい貧困の現実があることを知るのはそれからのことだ。

募金は毎回の活動ごとに少しずつ増えていき、雪だるまが転がりながら大きくなっていくように確かな形をもって現れてくる。第一回のバザーで8000人民元を寄付した後も、'互人多'はチャリティーコンサートなどで10万人民元の募金を集め、それは雲南省の5ヶ所の倒壊の恐れがある小学校校舎の改築費用に充てられた。

2000年、'互人多'はさらに20万人民元を希望工程に寄付し、広西壮族自治区灌陽県洞井郷に新しく'希望小学'を建設した。校舎落成後、メンバー達は竣工式に招かれることになった。

広西への旅 温かいもてなし 思わぬ収穫

2001年春、'互人多'は広西壮族自治区灌陽県政府の要請を受け、小学校竣工記念式典に参加した。
当地政府の負担を考慮し、4人のメンバーと2人の児童が'互人多'を代表して出席することになった。

灌陽県は山間地域のため、桂林から曲がりくねった山道を車で4時間近くも行かなければならない。
彼女たちが到着する頃には、既にたくさんの人が集まっていた。
学校の手前の橋では子供たちが「早く!早く来て!」と手招きをしている。
当地の温かいもてなしが忘れられない、と参加したメンバーは言う。
まだ年端も行かない子供2人が民衆の前でパンツがずり落ちるのも気にせず、懸命に歓迎の踊りを踊ってくれたのだそうだ。

そして、今回の広西行きは中国児童の更なる一面を発見する旅となっただけでなく、思わぬ収穫をもたらした。
彼女たちが灌陽県に着いた夜の8時過ぎ、子供たちが集団で学校から出てくるのを見かけた。
生徒たちが夜の自習を終えて帰るところだったのだ。
「中国の小学生たちが夜中まで学校で勉強している。なんて一生懸命なのだろう。」そう思い、感動した。
そして、この子供たちに学校を建ててあげられたことがとても誇りに思えたのだった。

メンバーの一人は言う。
「活動を始めた頃は、学校を建てられるなんて思いもよりませんでした。私たち主婦一人一人の力は小さくても、みんなで力をあわせれば、こんなにも大きな力になるのですね。中国にも『水滴石を穿つ』と言う諺がありますが、こういう事なのでしょう。この活動によって、私たちの生活観も変わりました。私たちが何もせず、上海で楽しく遊び暮らしても、時間は同じように過ぎて行きます。でも、ちょっとした『何か』をするだけで、大きな成果を得ることができるのです。」

未来-誤解と理解

2002年、'互人多'はさらに20万元を希望工程に寄付し、青海省同徳県に2校目となる小学校建設に取り組んでいる。校舎は現在建設中。いずれにしても五年間で50.8万人民元を集めるとは、非常にすばらしい功績である。

上海希望工程事務局員は言う。
「彼女たちはリレーのバトンを引き継ぐかのように、一人一人と繋いでいくのです。最初の5人のメンバーのうち2人が帰国しましたが、日本でも引き続き希望工程の活動を宣伝してくれています。上海に来る日本人がこれからもたくさん'互人多'の活動に参加してくれるといいですね。」

今年9月現在、'互人多'の会員数は172名。'互人多'は今日まで比較的順調に発展を続けてきたが、メンバーたちはいつも悩みを抱えている。

希望工程事務局員は言う。
「初めの頃、彼女たちの活動は人々に理解されませんでした。日本人の中にも、中国はお金持ちの国なのだから、募金活動は必要ないという人がいたり、またある時は、海外のメディアに誤った報道をされ、募金のお金を流用するのではと誤解を受けたりもしたようです。でも、彼女たちの5年間の努力を知れば、このような誤解もいずれは消えてなくなるでしょう。」と。

メンバーの一人は言う。
「'ボランティア'意識を強く持っている日本人はあまり多くありません。'互人多'も魅力的な活動のできる場所ですが、今の上海にはほかにも魅力的な面白い場所が多くなってきたので、メンバーになってくれる人が減ってしまうのではないかと心配しています。でも、誠意を持ってやっていきます。これからもよりよい活動が出来ると信じています。」

青海省同徳県に「互人多希望小学」完成!

SHANGHAI WALKER 2003年12月

青海省同徳県に互人多希望小学完成!

「互人多(フレンド)」は経済困難区の子供達がよりよい環境のなかで教育を受けられることを目的とした、ボランティアグループ。おもなメンバーは在上海駐在員の家族達だ。

会員の寄付と支援により、去る10月22日、青海省同徳県に2校目の「互人多希望小学」が竣工した。
ここはチベット族の自治州で、同校の教師は5人、生徒は80人ほど。周囲では放牧された羊やヤクがのんびりと草を食んでいる。
子供達の年齢にばらつきがあるが、今まで現地に学校がなかったため全員が1年生だ。竣工式に参加した「互人多」会員4名は字持つの人たちから暖かい歓待を受けた。

会員が地道な活動でえた収益金で完成した「互人多希望小学」は草の根の人たちの協力が決して小さくはないことを実感させてくれる証といえるだろう。

太太だからこそできること―「互人多」(Friend)

上海MY CITY 2004年7月

互人多メンバー集合! 互人多(friend)--中国の経済困難区の子供たちが
 より良い環境の中で、教育を受けられることを
 目的としたボランティアグループである。
 1997年に発足後は、ほとんどが太太さんという
 メンバー構成上、自分たちは太太だから子供たちの
 ためになることをしたいと試行錯誤の中で始めた
 互人多も今年で8年目。現在も精力的にその活動の幅を
 広げつつあるグループである。

試行錯誤の中で・・・「互人多」始動!

1997年に互人多が発足したばかりの頃は本当に何をしていいのかわかりませんでした」。と活動を決意した草創期のメンバー5名の内の1人である三宅真理さんはそう語る。

はじめは他のボランティア団体にいろいろ相談してみるなどしたが、何はともあれとにかく寄付金を集めよう!と初めてのガレージセールを開催。
上海に長く住んでいれば自然と不要な物が出てくるというもので、売り物は古着、雑貨、おもちゃなど。結果、飛ぶように売れ、第1回目にしてなんと売上げ総額18000元を記録する。その内8000元を失学児童のために寄付、残り1万元は学校建設のための積立金とした。

お客さんは予想外に中国人が半分以上を占め、驚いたのと同時に、今まで日本人太太として上海に住みながら、地元の人たちとの触れあいがほとんどない生活環境にいたため、中国人と接する機会を得ることができたことに喜びを感じたのだという。

第2回、3回のセールも順調に売上げを伸ばし、中国人のアイさんたちにも好評で「次のセールはいつ?」と催促を受けることもあるのだとか。しかしもちろん苦労がない訳ではなく、人集めのためにギリギリまで駆けずり回ることも。現在は年に1回、多く2回というスタンスで開催している。

子供たちの笑顔のために

ガレージセール以外にチャリティコンサート、手芸講座や講演会などのイベントを開催し、収益をすべて希望工程という、中国青少年発展基金の社会公益事業団体を通して寄付しているという互人多。

そしてついに2002年4月、広西壮族自治区に「灌陽県互人多希望小学校」を、
2003年10月には青海省に「同徳県互人多希望小学校」を建てることができた(学校建設には20万元かかる)。

都合のついた数名の互人多のメンバーたちは、青海省の学校の竣工式に、旅費などをすべて自費で上海から赴いた。彼女たちを待っていたのは、きちんと正装した80名の今度、初めて学校に通うことになったチベット族の子供たちの笑顔だった。
彼らのギター演奏や、大量の料理のもてなしで、大歓迎を受けたメンバーたちは「彼らの気持ちが伝わってきてうれしかった」と当時を振り返る。
80名の中には12歳位の大きい子供の姿もある。なにしろこの地域に学校が建てられたのは初めてのことで、彼らもこれから小さい子供たちに混じり、勉強を始めることになるのだ。

林さんは、「中国にはまだまだ学校がない地域がたくさんあるということを知っていただきたいです。この2校の学校を建てられたことに関しては、日本人が中国の奥地に対して貢献する活動に意義があると感じています。他の誰が知らなくても、この地域の人々の心の中に、上海にいる日本人たちが建てた学校がある、と知ってくれているだけでいいと思うんですよ」と語る。

太太にしかできないこと

学校建設以外では、抗SARS支援として上海市紅十字会に6万元、これまで建てた2校の教師4名に上海で研修を受けてもらうための教師研修資金12000元を寄付しているが、 これはあくまで代表的なもの。
互人多は月に1度メルマガを発信していて、 登録者は現在およそ200名にもなる勢いだ。

前出の三宅さんは「私は一度上海を離れてまた戻ってきたクチなんですが、ささいなきっかけで始まった互人多が学校を2つも建てることができるようになったなんて驚きです。 主婦の力は侮れないって思いました」と笑う。

「互人多はメンバーもやり方も、いろいろ変わりましたが、ここまで来れたのは継続は力なり、ということだと思います」とは互人多の前代表者で、 商工クラブのボランティア部にも所属する進士さん。

入ったばかりのあるメンバーは「もう12年もいて、遊ぶところも、ご飯を食べるところも決まっている。 私は中国に来て一体何をしてるんだろう、と思案しているときにこの互人多を知り、微力ながらも何かできればと思って」、 「自分がここにいる意味を見つけられたら…。以前からのメンバーである友人の姿を見て参加を決意しました」と活動している姿に影響を受けたメンバーもいる。

上海に暮らす日本人の太太として美味しいものを食べて、習い事をして遊んでるだけでは…、という思いから一念発起し、活動に参加する人も多い。 彼女たちがよく言うのが「私たちは太太だしなんの力もない…」という言葉。けれども太太だからこそ、太太にしかできない慈愛に満ちた活動ができるのではないか、 と取材を通してそう感じた。

太太にしかできないこと1 太太にしかできないこと2 太太にしかできないこと3

学校へ行きたい! ~互人多の活動~
  中国ほのぼのスケッチ ~こどものいる風景⑤~ 大橋敦子

浜松こども情報 2004年8月

180万人。いったい何の数字でしょう。実はこれ、現在中国全土で教育を受けていない、6~14歳の子供の数なのです。
中国でも義務教育は6歳から始まるので、日本でいえば小学校、中学校に通っていないこどもが180万人いるということになります。13億人といわれる中国の人口の中で、この180万人がどのような意味を持つのか、正直私にはピンときません。
受験させるかさせないか、どの幼稚園?どの学校?という悩みはあっても、教育そのものをまったく受けられないという悩みは、あまりにも普段の自分の世界とかけ離れているような気がするからです。

去る7月3日、上海のとある場所で恒例のこどもコンサートが開催されました。歌ありピアノ演奏あり、こども達が思い思いのパフォーマンスを繰り広げ、親子共に楽しめるイベントとして今年も大成功を収めました。

主催者は「互人多」というボランティアグループ。メンバーのほとんどが上海に住む日本人主婦で、今回の収益金は全て中国の失学児童(経済的理由で教育を受けることができないこども)のために使われることになっています。

7年前のこと、上海日本人学校のPTAで知り合った母親5人が中心となり、小さな小さなボランティアグループが生まれました。
「ただ楽しく暮らすだけでなく、中国のこども達のために何かをしたい」そんな気持ちが実を結んだ結果でした。
誰かのために何かをしたい。そんな気持ちを抱いている人は、たぶん世の中にたくさんいるでしょう。そして実際に実行している人もいれば、そうは思っても自分の事で精一杯の人もまたたくさんいるはず。

互人多、じつはこの字、中国語読みにすると英語の(フレンド)とほぼ同音になるんです。人と人がお互いに助け合い、それが大きな力となる。そんな思いが伝わってきませんか?これは私の想像ですが、フレンドの結成には、気持ちの強さはもちろんのこと、中国で暮らすという特別な環境が与えた力も、きっとまた大きかったのではないかと思います。

その頃の上海はどんな様子だったのでしょう?
「まだまだ建設中の、瓦礫の山のような場所がたくさんあって、そこに働きに来ている人たちももっと貧しい感じで、数ヶ月お風呂に入ってないんじゃないかというこどもがふらふらしていましたね。
でも、ちょっと郊外に出ると蒸気機関車が走っていて、一面の菜の花がとてもきれいでした。」当初からのメンバーの一人Sさんは、こんなふうにふり返ります。

上海を代表とする発展著しい沿岸部と、年間年収わずか800元(約12000円)という内陸部の貧困地域。
こどもを小学校に上げるための費用を捻出するのに、豚を売らなければならない家庭、家の仕事のため学校へ行けない子、一旦入学しても経済的事情で学校を辞めなければならない子…。
ありきたりな言い方ですが、「人は生まれてくる場所を選ぶことができないんだよね。」この原稿を書きながら、毎朝「ママ~今日学校に何着て行ったらいいと思う?」「何でもいいから早く支度しなさい!昨日はピアノの練習したの?」などという会話を繰り返している我家の光景を、ふと思い浮かべる私でした。

さて、互人多の最初の資金は500元(約7500円)。最初に行ったのはガレージセールでした。
その後ボウリング大会、料理教室にビーズ教室、クリスマスコンサートにバザー、フリマ、古本市等等その活動内容は当初から多彩でパワフル。
もちろん支援内容も、ガレージセールの収益金の一部で失学児童一対一支援20人分の寄付をしたのをはじめとして、ノートや教科書の寄付などを行いつつ、2002年にはついに広西壮族自治区に「互人多希望小学校」を、ついで2003年には青海省同徳県にも小学校を建設するに至ります。それと同時に知名度も徐々に上がり、賛同者も増えていきました。現在のメンバー数は事務局16名、発行しているメールマガジン会員はなんと150名にも。

「多くの人たちの力で一つ一つの実績が積み重ねられていく様子は、ピラミッドのような個人にはない底力を感じます。(メンバー)」最初から肩肘はらず、できることから始めていく姿勢。そしてそれを大勢の人間が支え合いながら、とにかく継続していくということ。これはきっと企業にはできない技なんじゃないか、そんな風に感じました。

また1999年にはこんなこともありました。
「浜北市の浜北中学生徒会の皆さんから、ノート一箱分の寄付をいただきました。日本と中国のこども達が、こんなふうにお互いを知って交流を深めることができれば嬉しいですね。 ノートは安徽省の2つの小学校に届けられました。」

互人多の寄付により建設された2つの「互人多希望小学校」では、現在それぞれ200名以上の児童が学校に通い、教育を受けています。
「(こうした活動を通じて)専業主婦でも力を合わせればなんでもできるんだ、という自信が生まれましたね。(メンバー)」ボランティアというのは決して一方的な流れではなく、巡り巡って何かが自分の元へ帰ってくる。そういうものかもしれません。

最後に。実は互人多の支援活動は、全て「希望工程」という中国の援助機関を通して行っています。
「希望工程」、私も何度か耳にした名前なのですが、具体的にはどんな機関なのでしょう。次回はこの「希望工程」についてご紹介したいと思います。

-日本人ボランティアの会 互人多(Friend)-
子供たちの未来を支えるひとりひとりの小さな力

上海ジャピオン 第056号 2005年7月8日 上海サークル事情

経済的な理由などで学校に行けない中国の子供たちに、教育に関する支援を行っている日本人のボランティアグループがある。名前はフレンド、中国語の発音を当てた漢字で「互人多」と書く。
日本人学校でPTA役員だった主婦5人が中心となり、97年に発足した。参加者数は年々増え、今では事務局メンバー13人を含むメールマガジン会員150人、寄付やイベントごとに不定期な形で参加している人も多い。

収益はガレージセールや古本市などのバザー、毎年開催されるこどもコンサートとクリスマスコンサート、各種文化講座イベント、寄付金などから得ている。
それらは全て中国の「希望工程」を通して、学校建設などの資金として寄付される。希望工程とは、農村貧困地区の教育条件を改善し、失学児童の援助を目的とした、中国青少年発展基金による教育支援プロジェクトだ。

校舎一校建てるためには、寄付金約20万元が必要になる。同会ではこれまでに、広西壮族自治区灌陽県と青海省同徳県に小学校各一校を建設。基本的に寄付をして建てた学校には、その後、希望工程の意向によりなるべく関わらないようなスタンスをとっている。次に支援を待つ子ども達が多く存在するし、なによりもきちんとした距離を置くことが大切だからだ。

しかし、これまでに全く問題がなかったというわけではない。「二つ目の学校を建てた時、きりもよいので活動を停止しようかという話もでました。」とメンバーたちは言う。
その中心を駐在員の主婦で占めるため、帰国という問題が立ちはだかるからだ。

そこで、今いるメンバーが上海を離れても、次に来る人たちへスムーズにバトンを繋げるようにと、今年3月から事務局を再編成した。

先日開かれた事務局メンバーによる定例会で、当面の目標として3校目の校舎を建てることが決定した。ボランティアの幅はこれから益々広がっていくだろう。メンバーの一人一人が、ボランティアの定義である「自発性」と「無償性」を心に持ち続けるうちは。

フレンドを通じてのボランティア活動は、大きく分けて3つに分類される。企画や運営に関わりたい人は、事務局メンバーに。活動内容やイベント情報などの情報を知りたい人は、メールマガジン会員に。その他、寄付や不定期な形で参加することもできる。また、個人で直接、希望工程へ寄付をすることも可能だ。とりあえず、自分ができることから始めてみるのも良いかもしれない。詳細はhttp://www.wna.jp/friend/