中国や日本のメディアで紹介された互人多とその活動についてのページです。
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2000年から2005年
- PEOPLE'S CHINA 2001・3
日本人ボランティア組織「互人多」
「同じ子を持つ母親として、中国の子供たちを支援していきたい」 - SHANGHAI WALKER 2002・6
互人多希望小学完成 - 誠成物業管理公司報 2002・11
羅馬花園「互人多」ガレージセール - 新民晩報 2002・12・1
『日本人'太太'と'希望工程'』 - SHANGHAI WALKER 2003・12
青海省同徳県に「互人多希望小学」完成! - 上海 MY CITY 2004・7
太太だからこそできること―「互人多」(Friend) - 浜松こども情報 2004・8
学校へ行きたい! ~互人多の活動~ - ジャピオン 2005・7・8 第056号
-日本人ボランティアの会 互人多(Friend)-
日本人ボランティア組織「互人多」
PEOPLE'S CHINA 2001年3月 |
互人多希望小学完成SHANGHAI WALKER 2002年6月1997年より活動を続けてきたボランティアグループ「互人多」(FRIEND)が希望工程を通じて寄付した建設資金により広西壮族自治区灌陽県洞井に「灌陽県互人多希望小学」が3月に完成し、4月11日に竣工式が行われた。 |
いつくしみ溢れる羅馬 羅馬花園「互人多」ガレージセール誠成物業管理公司報より簡略 2002年11月以前羅馬花園で行われたガレージセール(※)の成功に続き、2002年10月12日、再度羅馬花園に於いて「互人多」ガレージセールが行われた。これは古北新区に住む日本人の主婦らが企画したもので、この地区の住民の熱い反応があった。 今回は2度目の類似の催しではあったが、前回の成功が大きな呼びかけとなり、開始時間30分前の広場にはこのガレージセールのために手に手にバッグを携えた各国人の長い行列が出来ていた。 午後2時、会場は瞬く間に人で溢れ、品物を売り買いする熱気で沸き立った。店仕舞いが近くなった時刻にも依然として多数の入場者があったが、彼らはただ単に自分の好きなものを購入しているのではなく、重要なのは、貧困にあえぐ子供たちも本来享受するべき権利を受けられるよう、彼らも支援に協力しているという点である。 大変なのはこれらの催しを企画する日本人主婦らで、彼女たちは何の見返りも求めず、自発的に計画を立てて自分たちで実行しているのだが、彼女らの笑みに満ちた顔には、これで満足しているのだという様子が見て取れる。 催しの終了後、彼女らの話からわかったことだが、古北新区には貧困家庭の子供たちのためにボランティアをしている人たちがまだまだ多くいるとのこと。このような動きを広めていくよう、彼女らはさらに大きい規模の活動に取り組んでおり、助けを必要とする人々のための力に充てていこうとしている。 ※:5月24日開催の古本市 |
『日本人'太太'と'希望工程'』新民晩報より簡略 2002年12月1日11月の29・30日の2日間にわたり、福州路黄浦大厦で行われた展覧会。この書画交流展は中日交流正常化30周年を記念し、上海水郷書画研究所と日本の'互人多'主催、上海対外文化交流協会と上海日本総領事館協賛によって行われた。 '互人多'のメンバーは全て日本女性(※)。中国の希望工程と密接な関係がある。 ※:実際には中国人女性も含まれます。 '互人多'この名前に込められた意味1997年、上海駐在の日本人主婦たちが上海で会を設立し、駐在員家族と共に、ある活動を展開しようと考えていた。会の名前は'互人多'。この名前に込められた意味-それは英語のFRIENDを音訳し、日本人と中国人が友達になれるようにと言う思いを込めて。 「何かの縁で中国に来て、中国の方に良くしてもらっているのだから、そのお返しを…」と言う気持ちがあった。 だが、いざ何かをしようとしても、何をして良いかわからない。 こうして'互人多'の活動は方向性を定めたのだ。 最初の一歩 積極的な行動さて、これからどのように活動していくべきか。彼女たちの頭の中には既に一つの案があった。 しかし、難題にぶつかる。 純粋な民間ボランティア団体であるため、身分を証明するものが何も無かった。困った彼女たちは希望工程事務局を訪ねることにした。希望工程に事情を話すと、まだ一円の寄付もしていないのに保証人になってくれるという。この時できた信頼関係がその後の活動を続けていく自信を持つきっかけになった、と彼女たちは言う。 この第1回バザーは1997年6月に行われた。上海に住む日本人が不用品を提供し、それを'互人多'が整理して販売した。多くの日本人がこの活動に参加した。この1回目のバザーでは8000人民元が集まり、ちょうど貧困地区の子供20人が5年間学校に通える費用だった。すぐに手続きをして20人の子供たちと'授業料援助カード'を交わした。この20名の生徒は全て安徽省岳西県菖蒲鎮雲山小学校の生徒である。その生徒たちも今では無事卒業していることであろう。 広がるネットワーク 確かな成果'互人多'のネットワークはどんどん広がっていく。新しくメンバーとなった主婦らが熱心かつ次々に希望工程を周囲に宣伝していくからだ。大多数のメンバーは'互人多'が主催するバザーなどの活動がきっかけで、正式な会員となっていく。 募金は毎回の活動ごとに少しずつ増えていき、雪だるまが転がりながら大きくなっていくように確かな形をもって現れてくる。第一回のバザーで8000人民元を寄付した後も、'互人多'はチャリティーコンサートなどで10万人民元の募金を集め、それは雲南省の5ヶ所の倒壊の恐れがある小学校校舎の改築費用に充てられた。 2000年、'互人多'はさらに20万人民元を希望工程に寄付し、広西壮族自治区灌陽県洞井郷に新しく'希望小学'を建設した。校舎落成後、メンバー達は竣工式に招かれることになった。 広西への旅 温かいもてなし 思わぬ収穫2001年春、'互人多'は広西壮族自治区灌陽県政府の要請を受け、小学校竣工記念式典に参加した。 灌陽県は山間地域のため、桂林から曲がりくねった山道を車で4時間近くも行かなければならない。 そして、今回の広西行きは中国児童の更なる一面を発見する旅となっただけでなく、思わぬ収穫をもたらした。 メンバーの一人は言う。 未来-誤解と理解2002年、'互人多'はさらに20万元を希望工程に寄付し、青海省同徳県に2校目となる小学校建設に取り組んでいる。校舎は現在建設中。いずれにしても五年間で50.8万人民元を集めるとは、非常にすばらしい功績である。 上海希望工程事務局員は言う。 今年9月現在、'互人多'の会員数は172名。'互人多'は今日まで比較的順調に発展を続けてきたが、メンバーたちはいつも悩みを抱えている。 希望工程事務局員は言う。 メンバーの一人は言う。 |
青海省同徳県に「互人多希望小学」完成!SHANGHAI WALKER 2003年12月「互人多(フレンド)」は経済困難区の子供達がよりよい環境のなかで教育を受けられることを目的とした、ボランティアグループ。おもなメンバーは在上海駐在員の家族達だ。 会員の寄付と支援により、去る10月22日、青海省同徳県に2校目の「互人多希望小学」が竣工した。 会員が地道な活動でえた収益金で完成した「互人多希望小学」は草の根の人たちの協力が決して小さくはないことを実感させてくれる証といえるだろう。 |
太太だからこそできること―「互人多」(Friend)上海MY CITY 2004年7月 互人多(friend)--中国の経済困難区の子供たちが 試行錯誤の中で・・・「互人多」始動!1997年に互人多が発足したばかりの頃は本当に何をしていいのかわかりませんでした」。と活動を決意した草創期のメンバー5名の内の1人である三宅真理さんはそう語る。 はじめは他のボランティア団体にいろいろ相談してみるなどしたが、何はともあれとにかく寄付金を集めよう!と初めてのガレージセールを開催。 お客さんは予想外に中国人が半分以上を占め、驚いたのと同時に、今まで日本人太太として上海に住みながら、地元の人たちとの触れあいがほとんどない生活環境にいたため、中国人と接する機会を得ることができたことに喜びを感じたのだという。 第2回、3回のセールも順調に売上げを伸ばし、中国人のアイさんたちにも好評で「次のセールはいつ?」と催促を受けることもあるのだとか。しかしもちろん苦労がない訳ではなく、人集めのためにギリギリまで駆けずり回ることも。現在は年に1回、多く2回というスタンスで開催している。 子供たちの笑顔のためにガレージセール以外にチャリティコンサート、手芸講座や講演会などのイベントを開催し、収益をすべて希望工程という、中国青少年発展基金の社会公益事業団体を通して寄付しているという互人多。 そしてついに2002年4月、広西壮族自治区に「灌陽県互人多希望小学校」を、 都合のついた数名の互人多のメンバーたちは、青海省の学校の竣工式に、旅費などをすべて自費で上海から赴いた。彼女たちを待っていたのは、きちんと正装した80名の今度、初めて学校に通うことになったチベット族の子供たちの笑顔だった。 林さんは、「中国にはまだまだ学校がない地域がたくさんあるということを知っていただきたいです。この2校の学校を建てられたことに関しては、日本人が中国の奥地に対して貢献する活動に意義があると感じています。他の誰が知らなくても、この地域の人々の心の中に、上海にいる日本人たちが建てた学校がある、と知ってくれているだけでいいと思うんですよ」と語る。 太太にしかできないこと学校建設以外では、抗SARS支援として上海市紅十字会に6万元、これまで建てた2校の教師4名に上海で研修を受けてもらうための教師研修資金12000元を寄付しているが、 これはあくまで代表的なもの。 前出の三宅さんは「私は一度上海を離れてまた戻ってきたクチなんですが、ささいなきっかけで始まった互人多が学校を2つも建てることができるようになったなんて驚きです。 主婦の力は侮れないって思いました」と笑う。 「互人多はメンバーもやり方も、いろいろ変わりましたが、ここまで来れたのは継続は力なり、ということだと思います」とは互人多の前代表者で、 商工クラブのボランティア部にも所属する進士さん。 入ったばかりのあるメンバーは「もう12年もいて、遊ぶところも、ご飯を食べるところも決まっている。 私は中国に来て一体何をしてるんだろう、と思案しているときにこの互人多を知り、微力ながらも何かできればと思って」、 「自分がここにいる意味を見つけられたら…。以前からのメンバーである友人の姿を見て参加を決意しました」と活動している姿に影響を受けたメンバーもいる。 上海に暮らす日本人の太太として美味しいものを食べて、習い事をして遊んでるだけでは…、という思いから一念発起し、活動に参加する人も多い。 彼女たちがよく言うのが「私たちは太太だしなんの力もない…」という言葉。けれども太太だからこそ、太太にしかできない慈愛に満ちた活動ができるのではないか、 と取材を通してそう感じた。
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学校へ行きたい! ~互人多の活動~
浜松こども情報 2004年8月 |
-日本人ボランティアの会 互人多(Friend)-
上海ジャピオン 第056号 2005年7月8日 上海サークル事情 |