中国や日本のメディアで紹介された互人多とその活動についてのページです。
(読みやすいように改行位置を編集しています。また、一部漢数字を算用数字にかえてあります)

1997年から1999年

バザーで中国の未就学児童支援上海の日本人女性グループ

読売新聞国際アジア版 1997年6月10日

中国の未就学児童を支援しようという上海の日本人グループ「互人多」(フレンド、竹村恭子会長)は、
このほど上海市内でチャリティー・バザーを開き、会員が持ち寄った古本や衣料品、家電製品、乳母車など
約2000点を販売した。

中国では未就学児童が95年末現在で約1800万人いるとされる。
学校を建設したり学費を援助する民間の支援運動「希望工程(プロジェクト)」が展開されており、
今回のバザーも、その支援活動の一環として企画された。

売上の2万元(1元は約14元)は上海市希望工程弁公室に寄託されるほか、学校建設の基金をして積み立てられる。

(注:会長名は当時のものです)

中国の子ら支援しよう 日本人の女性5人ガレージセール開催

朝日新聞 1997年6月19日
経済的な理由で学校に行けない中国の子供たちに支援の手を差し伸べようと、上海に住む日本人女性5人が
ボランティアグループを結成した。

会の輪を広げる第一歩として8日に、資金集めのガレージセールを市内で開いた。
いずれは、上海の日本人から貧困地域に学校を一校プレゼントしようと、仲間を募っている。
4月にできたばかりのグループの名前は、フレンド。中国語の発音を当てて漢字で「互人多」と書く。
夫の海外勤務で上海に住むようになった女性らが中心となってつくった。上海での新しい動きだ。

上海の日本人社会に呼び掛けたガレージセールには、本、衣類、乾物、日用雑貨など千点あまりが寄せられ、寄付を合わせて2万元(1元は約13円)ほどの収益が上がった。
この中から、8000元を上海市希望工程事務所に寄託した。援助を必要とする内陸部に贈られることになる。

「希望工程」というのは、中国が国を挙げて取り組んでいる民間の教育支援プロジェクト。 会のメンバーによると、一人の子供が5年間、学校で学ぶのに必要な金額は400元。8000元で20人の教育を支援できることになる。残りは積み立てて、学校建設のための寄付金にする計画だ。
一校建てるのに、地域により5万元から20万元かかる。

「自分たちが上海を離れても、次に来た人たちが活動を続けていけるようにしたい」とメンバーはいう。

ガレージセール開催

茨城県上海事務所ホームページ 1997年12月
中国には中国青少年発展基金会が1989年10月に始めた「希望工程」という社会福祉事業があります。
中国国内には経済的理由で学校教育が受けられない子供たちが100万人以上いると言われており、希望工程は今世紀末までにこれらの子供たちが義務教育を受けられるようにすることを目標に、学校のない地区に学校を建設したり、貧困家庭の子供たちに書籍代を援助するなどの活動をしています。

上海市に希望工程の支援を目的として活動している互人多(フレンド)というボランティアグループがあります。互人多は上海在住の日本人女性によって1997年4月に結成されました。結成以来ガレージセール、ボーリングやテニスなどのチャリティー大会などの活動を行ってきています。

互人多は去る11月21日(金)と22日(土)の2日間にわたって第2回ガレージセールを開催しました。
上海で生活している多くの日本人家庭や日系企業22社から提供された衣類、台所用品、雑貨、書籍類などの商品をバザー形式で販売、売上金を希望工程に寄付するものです。当事務所もこの趣旨に賛同し協力しました。21日は日本人が多く住んでいる虹橋地区の住宅団地内の屋外で行われる予定でしたが、あいにくの雨のため、団地内の集会所で行われ、日本人の主婦を中心に多くの買い物客で賑わっていました。上海では日本の書物は、販売している店が少なく、値段は日本の倍以上と非常に高く、また古本を取り扱っている店もなく、なかなか入手できません。今回のガレージセールでは漫画本、参考書、小説、雑誌など多くの種類の日本の書物が安く販売され、日本人駐在員に大変喜ばれていました。

互人多のメンバーの方々の努力とその活動を支えている人たちの協力によって、今回は前回の倍以上の売り上げとなり大成功とのことでした。中国の恵まれない子供たちを救うために活動している互人多に対する理解者、支援者がこれから益々増えていくことを期待します。

主婦が支えた「手作り」援助

朝日新聞  1998年2月26日

上海に住む日本人の主婦5人が始めたボランティアグループ「フレンド」の募金活動で、雲南省にある倒壊寸前の4つの小学校が建て直されることになった。「自分たちが安全に住まわせてもらっているこの国のために何かできないか」という思いが多くの共感を呼び、わずか一年足らずで大きな実を結んだ。
年末には、日本人の支援に感謝してグループの名を冠した「互人多(フレンド)希望小学校」と校名を変える4校が、これまで日本とは縁のなかった少数民族地域に誕生する。

上海の「フレンド」 4小学校「希望」の改築

夫の転勤に伴い上海で生活するようになった竹村恭子さんら、上海日本人学校の保護者会活動で知り合った5人が、中国の子供たちのために何かできないかと「フレンド」をつくった。昨年4月のことだ。
相談の結果、中国あげての民間教育支援プロジェクトである「希望工程」に協力することにした。
行政の手が届かない地域に校舎を贈ったり、親が貧しくて学校に行けない子供に教材費を援助したりする運動だ。

結成2カ月後の昨年6月、初めてのガレージセールを開いた。組織に頼らない口コミだけの活動にもかかわらず、予想を超える協力が寄せられ、18000元(1元は約16円)の収益があった。売り子を買って出る協力者や理解者が次々と現れ、会員も現在では50人に広がった。チャリティーのテニス大会やボウリング大会も企画した。

合計で8万元あまり集まったことから、「希望工程」の窓口となっている上海市希望工程弁公室と相談した。
日系企業のこうした活動は少なくないが「フレンド」のような手作りの活動は貴重なだけに、同室も積極的に協力。同室から雲南省の学校を紹介された。

1万元の資金援助があれば、倒壊の危険のある校舎が改築できるとわかり、推薦された昆明市郊外にある4校に決めた。イ族など少数民族が暮らす貧困地域の小学校だ。
寄せられた学校の資料によると、その中の村立三台坡小学校(四年制で児童72人、教員2人)は、「40数年前に建てられた校舎は壁に亀裂が入り、いつ倒壊してもおかしくない。生命の危険があるため、一部は民家を借りて授業している」とあった。改築費は67000元のうち地元で47000元を負担し、残る2万元の援助を求めている。他の学校も同様の状況だった。

同室を通じて8万元を寄贈した会員たちは、いまから落成式に出席する日を楽しみにしている。

「フレンド」では今後も募金活動を続ける予定だ。さらに、文房具にも困っている子供たちに使ってもらおうと、会員から提供を受けた不要の紙を生かして手作りのノートを作り始めている。
会員はほとんどが転勤族の主婦だけに、最初のメンバーからすでに帰国者が出てきた。だが、「人が入れ替わっても続けていってほしい。そのためにも無理のない活動を心掛けている」という。

寄付金2万元で雲南省に建設援助   互人多と希望工程の結び付き

申江服務導報から簡略 1998年7月15日

上海在住の日本人女性グループ「互人多」が会員に呼びかけ、「互人多」にとって5校目となる「希望小学」の建設援助を行った。

5月下旬のある日、上海の「婦人部会」100名余りの会員が花園飯店に集まり、日本情緒溢れる2階の大ホールにて名古屋「狂言共同社」の鑑賞会を催した。ホール入口には募金箱を手にした婦人を含む6名が一列に並び、微笑を浮かべて鑑賞会にやって来た会員一人一人を出迎えた。会員たちは募金箱に日本語で「経済困難地区に住む中国児童に愛の手を」と書かれた文字を見て、次々と財布の紐を解いた。募金活動をしている6名はそのたびに丁寧にお辞儀を返し、感謝の意を表していた。
この6名は日本企業駐在員の妻であり、「希望工程」のための活動に熱心になっている「互人多」の中心人物である。 昨年春、上海日本人学校の5名の生徒の母親が自発的に「互人多」と名づけられたグループを立ち上げ、中国の「希望工程」の一助となっている。

彼女たちの資金集めの方法は独特である。「互人多」の5名の発起人(後に1名増)及び5、60名になった会員(大部分が日本女性)は上海の日本人社会に目に見えない情報網を持ち、同胞たちに彼女たちの活動を広めている。帰国が決まった日本人たちは長い中国駐在中に、学校に行けない中国の子供たちに同情を抱き、帰国時、ガレージセールを開いてその売上げを「互人多」に寄付、または日本に持ち帰らない家具・衣服・靴・玩具・食器・文房具・本・雑誌・日用品などを資金集めとなるチャリティーバザーの商品として「互人多」に渡していく。そのほかにも「希望工程」に賛同して、不要となった衣服・本・玩具などの品々をバザー用として「互人多」に提供する日本人家庭もある。

ここ一年で「互人多」は2回のバザーを開催し、8万元を積立てた。彼女たちは上海市の「希望工程弁公室」と相談の結果、この8万元を雲南省のタイ族郷など4ヶ所の少数民族の住む危険校舎改築に充てることにした。――『よろしくお願いいたします!』と彼女たちは「希望工程弁公室」の職員に頭を下げた。

最近「互人多」は更にまた1回バザーを行い、積立てた資金2万元で雲南省に希望小学の建設援助をした。