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同徳県互人多希望小学

※現在は同徳県民族寄宿制小学に合併されています(詳しくはページの最下段をご覧ください)

青海省の互人多希望小学落成!

同徳県互人多希望小学竣工式 皆様のご寄付、ご支援により、2002年の広西壮族自治区の
 灌陽県互人多希望小学に続き、2003年には青海省同徳県に
 も互人多希望小学が完成しました。
 10月下旬に行われた竣工式に互人多のメンバー4名も参加
 して参りましたので、ご報告いたします。

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 皆様から戴いた会費、ご寄付、イベント収益金により、積
 立金が再び20万元となりましたので、2校目の学校建設に
 向けて準備を始め、上海希望工程事務所に青海省から出て
 いる申請書をいくつか見せていただき、同徳県に決定いた
 しました。
 今回の同徳県互人多希望小学建設前の状況は次の通りです。
 場所: 青海省同徳県ガバソンド鎮巴灘
 面積: 9.1万畆草場
 人口: 11村 110戸 588名(適齢児童240余名)

申請理由:1999年同徳・沢庫両県の牧草地問題の解決の為、現在の村に移住し定住を始めたが、移住した結果学校が遠くなってしまい(20~30Km)勉学を続けるのに困難が生じている。その為小学校建設を計画したが、県財政難、自然災害の頻発、牧民の貧困状態から自力建設は困難なので、青少年発展基金(希望工程を行っている機関)に申請していた。

同徳県互人多希望小学竣工式で全員そろって記念撮影

同徳県互人多希望小学訪問関係者

青海省希望工程管理弁公室主任:戚光、朱海亭、祁万烈
同徳県党委書記:王耀勝    海南州団委書記:何生花
同徳県団委書記:趙慶珊    海南州委付書記:ガマチャー
青海省団委付書記:呂剛    貴徳県団委書記:韓海宏、戴元梅
同徳県教育局局長:才智    同徳県人民政府県長:安正         
同徳県互人多希望小学校長:南太加   ガバソンド(尕巴松多 gǎ bā sōng duō)鎮長:周格
互人多メンバー:三宅真理、林由佳、平井久仁子、進士薫

青海省同徳県互人多希望小学訪問日程

10/20(月) 上海(虹橋)→西寧 
  21(火) 西寧→青海湖→同徳県 
  22(水) 同徳県互人多希望小学竣工式参列→西寧
  23(木) 塔尓寺、清真寺見学
  24(金) 西寧→西安(乗換え)→上海(虹橋)

同徳県への途中で立ち寄った青海湖 同徳県へ向かう道筋の風景

青海湖畔に出ていた露店 同徳県での出迎え

参加者感想:--林由佳

同徳県互人多希望小学の児童 高度3000メートル近い山脈のてっぺんを平たく切り取ったような高原。
 まわりを見渡しても、すでに枯れかかった牧草地が地の果てまでずっと
 続いている。土で固めた四角い家がところどころにあり、牧羊の群あり、
 その真ん中に平屋2棟の新校舎がたっている。それが同徳県互人多小学
 である。

 少し風は冷たいが思っていたほどではなく、それよりも予想していたより
 強い紫外線に翻弄されながら小さな竣工式に参加した。

 私達は校門から少し離れたところで車からおろされ、まずは政府関係者、
 学校関係者からハーダ(首に掛ける白い布)による歓待を受けた。そして
 子供達はみな、色とりどりのチベット民族衣装に身を包み(おそらく一張
 羅)、私達を校門の入り口の両側に並んで拍手で迎えてくれた。どの子も
 屈託のない一昔前の子供といった感じだが、身体の大きさにばらつきがあ
 る。理由を尋ねると13歳までの年齢の子供が共に一年生として学んでいる
 から、とのことであった。今まで学校へ行けなかった子供が結構いること が分かる。

このあたりでは小学校へ入るとまず、チベット語の読み書きを学ぶ。それから3年生になって中国語の標準
語とのバイリンガル教育が始まるらしい。同じ国内でバイリンガルとは中国の広さに再度圧倒される。但し
社会主義教育はここでもきっちりと行われているので子供達の襟元にはしっかりと赤いスカーフが結ばれて
いる。

竣工式では県人民政府の職員が中国語で司会をし、校長先生がチベット語で通訳をする。温厚そうな若い校
長先生である。日本のどこかにいるような顔立ちだ。

国旗掲揚(敬礼の手がなぜかひっくり返っていた)、国歌斉唱、児童代表の挨拶、紅領巾による歓迎では来
賓の私達一人一人の首に児童代表が赤いスカーフを結んでくれた。互人多代表の挨拶を日本語で行うと初め
て聞く外国語のことばの間にひたすら拍手を繰り返す子供達のほほえましい場面あり、日本からの記念品の
時計を校長先生に差し上げた時の驚いた面もち、素朴な牧民の素直な感情表現にすがすがしさを感じた。

短い竣工式を終え、教室に走り込む子供達を追いかけ、校舎を見学。教室の黒板の上に見慣れない顔が掲げ
てある。同徳県きっての文化人だそうで、この英雄に続けという期待が込められている。一番前の席に座っ
ている児童がチベット語の教科書を指で追いながら一生懸命読んで聞かせてくれた。その隣の児童は教科書
を忘れたのか、私達が教室に入ってきてからというもの、ずっと下を向いてもじもじしている。

校舎を見学した後はなんと宴席が用意されていた。お供え物かなにかと思っていたものはすべて私達をもてなすためのものであり、それからしばらく正月を迎えたようなチベット式大宴会となった。踊ったり歌ったり、しかしチベット族の女性は給仕の時以外はその部屋の中に入ることを許されていないようで、男性が客の接待をする。他の女性達は宴会の間、ずっと窓の外からこちらの様子をうかがっていた。こういう課題はまだあるようだ。
その後時間に追い立てられるようにその場をあとにしたが、任を終えてほっとしながらもう一度学校を振り返ると、校門の両脇の壁にずっと飾り文字が張ってあった。ずっと気が付かなかった。『巴灘人民のすばらしいお母さん、お疲れさまでした!』電気もない、水も貴重なこの地で、私はたくさんの心の糧を得た。
この学校で学ぶ子供達の未来が輝かしいものであるように祈らずにいられない。

同徳県互人多希望小学の竣工式に集まってきた母親たち 竣工式に参列した児童たち
竣工式にやって来た母親たちと記念撮影 関係者からはバターが贈呈された
参加者感想:「大草原の小さな学校」--三宅真理

大草原の中にポツンと建つ白い壁に真っ赤な扉の建物…同徳県互人多希望小学校である。周囲では放牧され
た羊やヤクがのんびりと草を食む。

10月20日、このかわいらしい学校の竣工式が行われた。チベットの民族衣装をまとった80名の生徒と5名の
チベット人教師の出迎えを受け、「大草原の小さな学校」の門をくぐった。子供達は純粋な牧草地の民族ら
しく、中国語の「ニイハオ」も通じない。

もう10月だというのに、海抜3000メートルの強い紫外線を肌にひりひり感じながらの式典。互人多の日本
語と中国語による祝辞も全く意味がわからないながら、きちんと整列して聞いてくれた子供達。日焼けした
顔にあどけない瞳。最後に生徒代表によるお礼の言葉。今度はこちらが意味がわからない。言葉は通じなく
ても、お互いに気持ちが通じ合う気がして、とてもすがすがしい式典であった。

この学校は開校したばかりで、6年生ぐらいの大きな子も小さな子もそろって1年生。同じ教室でチベット語
の「あいうえお」を一緒に学んでいた。

式典の後、教室での昼食会。ゆでた骨付き羊肉・血の腸詰・トマトの砂糖がけ等、現地での精一杯のおもてなしを受けながら、校長先生の歓迎の歌・生徒の歌を聞いた。

この学校は、みんなが少しずつ力を出し合ってコンサートやバザーを開いて、その収益金を集めて建てた物
だ。名もなく力もない主婦達がこつこつと活動を続けて、周りの方の協力を得て建った物だ。一人一人の力
は小さくても、中国の子供達の役に立つ事ができる。この式典は私にとって生涯忘れがたいものになると 、
感謝感激の思いでいっぱいになった。

竣工式の後、教室で開かれた食事会 ギターと歌の腕前を披露する教師と児童

参加者感想:--平井久仁子

同徳県互人多希望小学の児童吹きすさぶ北西の風と荒涼とした草原の冬景色…を想像していた私たちを
迎えてくれたのは、初夏のように暖かい日差しと、それ以上に暖かい青海
の人たちの歓迎でした。 といっても、初日青海省の省都西寧に到着したの
はすでに夜9時で、飛行機から降りた瞬間、夜なのに「え?」と思うほど
暖かくて、本当にびっくりしました。

空港まで迎えに来てくださったのは青海省希望工程管理弁公室の戚光主任と
2人の職員の方で、5日間の青海滞在中、この戚さんがほとんどずっと案内
してくださいました。

車が走り出してすぐわかったことですが、西寧空港から市内に向かう道が
見事に整備された高速道路で、ここで先ず青海という未知の土地に対して
ぼんやり抱いていたイメージが、少し違ったかな?と、感じました。また 、
ホテルも三星ながらヒーターも効いているし、シャワーも快適だし、心配
していた高山病の症状もなく、覚悟していたよりずっと快適で、更に一段
と青海の印象が良くなって、明日への期待に胸を膨らませながら眠りにつ
いた一日目でした。

二日目、さっそく互人多希望小学校のある同徳県に向かいます。途中、少し回り道をして、青海湖を見学しました。かなり手前から遥か彼方に見えてきた青海湖の色は、それは美しい深いエメラルドグリーンで、長江や黄浦江に目が慣れてしまった私にとって、もうその色だけで感動してしまうほどでした。

昼食の後、同徳県へ向かう道はだんだん山が険しくなってきて、途中チベット族の先祖を祭る法事をしてい るところで車を降りて休憩しましたが、そこが海抜3600メートルでした。物売りの台に並んでいたビスケットやスナック菓子の袋がパンパンに膨らんでいるのを見て、本当に気圧が低いんだとわかりましたが、普通にしていたら、これといって自覚症状がないので、まさか富士山の頂上と同じ高さのところにいるという実感がなかなかありませんでした。
ただ、周りの景色がだんだん殺風景な岩山だらけになってきて、行けども行けども変わらない景色を眺めていると、子の地球の表面で蠢いている人間の小ささを思わずにいられませんでした。

山道を走ること4時間余り、日暮れ時にようやく同徳県の入り口に到着し、そこでは出迎えの儀式があり、
ハダーという長い白いマフラーのようなものを首にかけてもらい、お椀の白酒を飲むのが客の礼儀だそうで
すが、私は右手の薬指にお酒をつけて天に向かって3回指をはじくという形だけで許してもらいました。
同徳県ではさすがにホテルはなく、県の招待所に泊まりましたが、エレベーターがないのに部屋が3階で、うっかりいつもの歩調で階段を上がったら、いきなり心臓の鼓動が激しくなって、ちょっと気分悪くなってしまい、初めて自分の体で海抜3000メートルを実感しました。
他の3人も妙に口数が少なかったり頭が痛くなったりで、高山病侮るべからず、ここは明日の本番に備えて用心して早く休むことにしました。

三日目も快晴のお天気に恵まれ、一晩たって体がなじんできたせいか、頭痛もとれて気分もすっきり、いざ学校へ。 と、その前に招待所のすぐ近くにある、県で一番の小学校を是非見てほしいといわれ、先にそっちを見学。ある華僑の方の寄付で、建設中だという新校舎は鉄筋コンクリートの5階建てで、驚きました。予定の時間をちょっとすぎてしまったので、子どもたちを待たせては可哀想なので、切り上げていよいよ互人多希望小学校へ向かいます。

県の中心から車で15分ほどの草原の中に、私たちの互人多希望小学校はありました。
360度見渡す限り草原以外何にも無い所に、白いタイルの壁に赤いタイルで飾り模様が施された、遠くからでもよく目立つ(校舎は平屋なのに、周りが何にも無いのでとても目立つ)可愛らしいという言い方が似合うような、そんな学校でした。校門の両脇に一列ずつに並んで、歓迎の言葉を掛けてくれる子どもたちの間を通り抜けて、学校の中にはいりました。竣工記念式典は秋晴れの中、校庭で行われました。子ども達はそれぞれおめかしをしていて、正月の晴れ着のような新しいきれいな民族衣装をきて、ありったけの装身具をつけてきている子もいました。

式典の後、教室を見学しました。その時わかったことですが、子ども達はほとんどがチベット語しか話せず、まずチベット語の字を習って、それから中国語を習うのだそうです。今回ひとつ残念だったのは、行く前に、一言でも二言でもチベット語の挨拶言葉くらい覚えていけばよかったのに、と思ったことです。
あの子達と直接話がしてみたかった。
この地域には今まで学校が無かったそうで、この9月からの新1年生は6歳から10歳くらいの子まで年齢はばらばらでした。けれどもどの子の目もまっすぐで、きらきら輝いていて、羨ましいほどでした。覚えたてのチベット語を「僕、これもこれも読めるんだよ!」といわんばかりに、何回も声に出して読んでくれる様子を見た時、ああ、ここまで来てよかった!!と、心の底からそう思いました。

その日の昼食は学校の空き教室で食べたのですが、学校の先生や(たぶん)生徒の親御さんたちが準備してくださったのは、本格的な遊牧民の料理ばかり。 お皿に山と盛られた骨付きの羊肉は迫力ありましたが、茹でてあるので、意外にも油気が全然無くて、肉を手にとって食べるのですが、手にも全く油がつきませんでした。 バター茶はかなりおいしかったし、腸詰はグロテスクだったけど、レバーの腸詰はとてもいい味でした。
そして、先生と子どもの代表が入れ替わり立ち代りすばらしい喉を披露してくれ、校長先生なんか踊りだしたりで、結構盛り上がったのでした。
もっと歌を聴きたかったけど、今日中に西寧に戻らなければならないので、名残を惜しみつつ同徳県を後にしました。

西寧に戻って翌日の四日目は市内を少し観光しましたが、やはり上海と比較して全体的にひと気が少ないと感じました。市街区の道路や建物などは思っていたよりずっと現代的だし、ケンタッキーもあったし、西寧は都会だ!ということはわかりましたが、その反面、草原で遊牧生活を営んでいる少数民族の人たちとの落差は広がるばかりのように思えました。
この一、二年言われ始めた西部大開発が、掛け声だけでなく順調に実質的な成果を上げて、20年前に改革開放が始まった時、誰も今の上海の姿を想像すらできなかったのと同じように、何年か後には草原に散らばる遊牧民の人たちにもその恩恵が実感として届けられることを、願わずにいられませんでした。

今回の青海行きで、とにかく青海省という、日本人には今ひとつなじみのない、遠すぎるというイメージばかりが先行していた土地が、急に身近に感じられるようになったし、サバイバル旅行も覚悟していった割には、全行程を通して快適な旅で、私個人の中国旅行トラウマから少し解放されたような気がしました。それだけでも行ってよかったとつくづく思いますが、あの草原と羊の群れと、子どもたちの姿を、自分の子どもにも見せてやりたかったなあと思います。
3年後くらいに、今度は子どもを連れて行くのも悪くないなあと、ちょっと本気で思っています。

その後の同徳県互人多小学

同徳県互人多小学はその後、2010年に同徳県民族寄宿制小学に合併され、
元の校舎は幼稚園として使用されています。

その後の同徳県互人多小学

写真は2010年合併後のもの。
門柱の「同徳県民族寄宿制小学」の文字の横に「同徳県互人多希望小学」の表札が見えます。
左上の小さな写真は、竣工式に贈呈した絵です。