※現在は同徳県民族寄宿制小学に合併されています(詳しくはページの最下段をご覧ください)
青海省の互人多希望小学落成! 皆様のご寄付、ご支援により、2002年の広西壮族自治区の ★各画像の上にマウスカーソルをのせると、 皆様から戴いた会費、ご寄付、イベント収益金により、積 申請理由:1999年同徳・沢庫両県の牧草地問題の解決の為、現在の村に移住し定住を始めたが、移住した結果学校が遠くなってしまい(20~30Km)勉学を続けるのに困難が生じている。その為小学校建設を計画したが、県財政難、自然災害の頻発、牧民の貧困状態から自力建設は困難なので、青少年発展基金(希望工程を行っている機関)に申請していた。 同徳県互人多希望小学訪問関係者青海省希望工程管理弁公室主任:戚光、朱海亭、祁万烈 青海省同徳県互人多希望小学訪問日程10/20(月) 上海(虹橋)→西寧
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参加者感想:--林由佳 高度3000メートル近い山脈のてっぺんを平たく切り取ったような高原。 少し風は冷たいが思っていたほどではなく、それよりも予想していたより 私達は校門から少し離れたところで車からおろされ、まずは政府関係者、 このあたりでは小学校へ入るとまず、チベット語の読み書きを学ぶ。それから3年生になって中国語の標準 竣工式では県人民政府の職員が中国語で司会をし、校長先生がチベット語で通訳をする。温厚そうな若い校 国旗掲揚(敬礼の手がなぜかひっくり返っていた)、国歌斉唱、児童代表の挨拶、紅領巾による歓迎では来 短い竣工式を終え、教室に走り込む子供達を追いかけ、校舎を見学。教室の黒板の上に見慣れない顔が掲げ 校舎を見学した後はなんと宴席が用意されていた。お供え物かなにかと思っていたものはすべて私達をもてなすためのものであり、それからしばらく正月を迎えたようなチベット式大宴会となった。踊ったり歌ったり、しかしチベット族の女性は給仕の時以外はその部屋の中に入ることを許されていないようで、男性が客の接待をする。他の女性達は宴会の間、ずっと窓の外からこちらの様子をうかがっていた。こういう課題はまだあるようだ。 |
参加者感想:「大草原の小さな学校」--三宅真理大草原の中にポツンと建つ白い壁に真っ赤な扉の建物…同徳県互人多希望小学校である。周囲では放牧され 10月20日、このかわいらしい学校の竣工式が行われた。チベットの民族衣装をまとった80名の生徒と5名の もう10月だというのに、海抜3000メートルの強い紫外線を肌にひりひり感じながらの式典。互人多の日本 この学校は開校したばかりで、6年生ぐらいの大きな子も小さな子もそろって1年生。同じ教室でチベット語 式典の後、教室での昼食会。ゆでた骨付き羊肉・血の腸詰・トマトの砂糖がけ等、現地での精一杯のおもてなしを受けながら、校長先生の歓迎の歌・生徒の歌を聞いた。 この学校は、みんなが少しずつ力を出し合ってコンサートやバザーを開いて、その収益金を集めて建てた物
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参加者感想:--平井久仁子吹きすさぶ北西の風と荒涼とした草原の冬景色…を想像していた私たちを 空港まで迎えに来てくださったのは青海省希望工程管理弁公室の戚光主任と 車が走り出してすぐわかったことですが、西寧空港から市内に向かう道が 二日目、さっそく互人多希望小学校のある同徳県に向かいます。途中、少し回り道をして、青海湖を見学しました。かなり手前から遥か彼方に見えてきた青海湖の色は、それは美しい深いエメラルドグリーンで、長江や黄浦江に目が慣れてしまった私にとって、もうその色だけで感動してしまうほどでした。 昼食の後、同徳県へ向かう道はだんだん山が険しくなってきて、途中チベット族の先祖を祭る法事をしてい
るところで車を降りて休憩しましたが、そこが海抜3600メートルでした。物売りの台に並んでいたビスケットやスナック菓子の袋がパンパンに膨らんでいるのを見て、本当に気圧が低いんだとわかりましたが、普通にしていたら、これといって自覚症状がないので、まさか富士山の頂上と同じ高さのところにいるという実感がなかなかありませんでした。 山道を走ること4時間余り、日暮れ時にようやく同徳県の入り口に到着し、そこでは出迎えの儀式があり、 三日目も快晴のお天気に恵まれ、一晩たって体がなじんできたせいか、頭痛もとれて気分もすっきり、いざ学校へ。 と、その前に招待所のすぐ近くにある、県で一番の小学校を是非見てほしいといわれ、先にそっちを見学。ある華僑の方の寄付で、建設中だという新校舎は鉄筋コンクリートの5階建てで、驚きました。予定の時間をちょっとすぎてしまったので、子どもたちを待たせては可哀想なので、切り上げていよいよ互人多希望小学校へ向かいます。 県の中心から車で15分ほどの草原の中に、私たちの互人多希望小学校はありました。 式典の後、教室を見学しました。その時わかったことですが、子ども達はほとんどがチベット語しか話せず、まずチベット語の字を習って、それから中国語を習うのだそうです。今回ひとつ残念だったのは、行く前に、一言でも二言でもチベット語の挨拶言葉くらい覚えていけばよかったのに、と思ったことです。 その日の昼食は学校の空き教室で食べたのですが、学校の先生や(たぶん)生徒の親御さんたちが準備してくださったのは、本格的な遊牧民の料理ばかり。 お皿に山と盛られた骨付きの羊肉は迫力ありましたが、茹でてあるので、意外にも油気が全然無くて、肉を手にとって食べるのですが、手にも全く油がつきませんでした。 バター茶はかなりおいしかったし、腸詰はグロテスクだったけど、レバーの腸詰はとてもいい味でした。 西寧に戻って翌日の四日目は市内を少し観光しましたが、やはり上海と比較して全体的にひと気が少ないと感じました。市街区の道路や建物などは思っていたよりずっと現代的だし、ケンタッキーもあったし、西寧は都会だ!ということはわかりましたが、その反面、草原で遊牧生活を営んでいる少数民族の人たちとの落差は広がるばかりのように思えました。 今回の青海行きで、とにかく青海省という、日本人には今ひとつなじみのない、遠すぎるというイメージばかりが先行していた土地が、急に身近に感じられるようになったし、サバイバル旅行も覚悟していった割には、全行程を通して快適な旅で、私個人の中国旅行トラウマから少し解放されたような気がしました。それだけでも行ってよかったとつくづく思いますが、あの草原と羊の群れと、子どもたちの姿を、自分の子どもにも見せてやりたかったなあと思います。 |
その後の同徳県互人多小学同徳県互人多小学はその後、2010年に同徳県民族寄宿制小学に合併され、 写真は2010年合併後のもの。 |